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Photo: © Zikmund 100
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ハンゼルカとジクムンドの足跡を辿ってプルゼンから2人のチェコ人旅行家が来日

駐日チェコ共和国大使館は、2018年8月29日、イジー・ハンゼルカとミロスラフ・ジクムンドに影響を受けプルゼン市から来日した2人のチェコ人旅行家、ルカーシュ・ソハ氏とトマーシュ・バニョウレク氏の訪問を受けました。
大使館にて開催された講演会では、50年以上前にハンゼルカとジクムンドによって収められた写真が現在の様子を収めた写真と並べて紹介され、彼らの旅の経験にまつわる質疑応答の時間も設けられました。

ルカーシュ・ソハ氏とトマーシュ・ヴァニョウレク氏のプロジェクトについて、駐日チェコ共和国大使館次席のミラン・スラネッツ参事官は以下のようにコメントしています。
「最も偉大な2人のチェコ人旅行家が遺したものは、今でも色褪せることなく今日の若い世代の人々をも魅了しています。旅行するということは、いつも現在のように容易であった訳ではないと折に触れて思い出すことが大事です。」

現在ソハ氏とヴァニョウレク氏は、プロジェクト「Zikmund 100」において、彼らと同じくプルゼン市出身のジクムンドとハンゼルカの2人が1959年から1964年にかけて決行した旅行の足跡を追いながら、54年の歳月を経たあとの各地の様子を記録に残しています。

偉大なチェコ人旅行家、ハンゼルカとジクムンドは、第一回目の旅行ではタトラ87に乗りアフリカとラテンアメリカを廻りました。第二回目では、改良された2台のタトラ805と共に、アジア、オーストラリア、そしてオセアニアへと足を伸ばしました。

1963年に数ヶ月間滞在した日本では、本州、四国、九州、北海道の日本全土を廻り、日本の近代的、そして伝統的な面に触れました。

日本からの帰国後、チェコ国立科学アカデミー所長とチェコスロヴァキア共産党のために、通称「特別報告書第3号」と呼ばれた報告書が編纂されました。その中でハンゼルカとジクムンドは日本の経済状況を描写し、その急激な成長振りの背景を分析しています。この報告書の一部分は、日本に関する単独インタビューとして1964年に週刊誌「クルトゥルニー・トヴォルバ」にて公表され、大きな反響を受けました。1968年後、彼らは出版活動を禁じられ、日本に関する記述はその後ルポルタージュや書籍で掲載されることはありませんでした。

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